今日は、「創世記」における神のことばによる創造の第一日を味わいます。神さまが「光、あれ」というおことばでもって、秩序なく、またいのちなく、無意味に存在していた世界に、秩序がもたらされたことについてお話ししています。
2022.7.3 聖日礼拝(聖餐式)
聖書 創世記1章1節
説教 「神からはじまる」
渋谷昌史 牧師
※ 本日は録画を行っておりません
今日は、創世記1章1節から、すべては「神からはじまる」ということを語りました。そう思えるようなったのは、聖書を通して、神に出会い、神のことを考えられるようになったからではないでしょうか?
2022.6.26 礼拝メッセージ
今日は、マルコの福音書の最後の講解説教です。ガリラヤからイエスさまに従って仕えてきた3人の女性たちが、イエスさまが葬られた墓の中で一人の青年(天使)に出会い、彼から「イエスさまはよみがえられた」と伝えられた場面を味わいます。彼女たちはその体験で、非常に「恐れ」を感じましたが、まことの神に出会うと、その「恐れ」は、神を「畏れ敬う」という意味での「畏れ」に変わっていく、ということについてお話しします。
2022.6.19 礼拝メッセージ
今日は、十字架上で死なれたイエスさまが墓に葬られる場面を味わいます。ここに、ユダヤの最高法院・サンヘドリンの議員であったアリマタヤのヨセフと、ガリラヤからエルサレムまでイエスさまについて行き、イエスさまに仕え続けてきた女性たちが登場します。彼らが、どんな思いでイエスさまを墓に葬り、その様子を見つめておられたのか、ということについてお話しします。
2022.6.12 礼拝メッセージ
先週は、使徒の働き10章のみことばでもって、ペンテコステの礼拝を捧げました。今日は、再び、マルコの福音書に戻り、十字架上のイエスさまが、自らのいのちを捧げ尽くされた場面を味わいます。イエスさまが大声で叫ばれた「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という悲痛なおことばは、私たちの心に何を語りかけるのでしょうか? 今日は、主の御前で嘆いてもいい、絶望してもいい、ということについてお話しします。