2022.5.15 礼拝メッセージ

今日は、ローマ側から死刑が言い渡されたイエスさまが、ローマ兵に引き渡され、見世物にされてしまう場面を味わいます。神の御子であられるイエスさまが「ユダヤ人の王様」の役に仕立て上げられ、「いばらの冠」をかぶせられます。その冠をイエスさまがかぶられたということが、私たちにとってどのような意味を持つのか、ということをお話ししています。

2022.5.8 礼拝メッセージ

今日は、ローマによるイエスさまの裁判の場面を味わいます。ユダヤにおける宗教裁判に首を突っ込まないピラト。しかしユダヤの国のリーダーたちは、何としてでもイエスさまを死刑へと追いやるために、ユダヤの宗教上の問題を、ローマにおける政治上の問題へとすり替え、イエスさまをローマに対する反逆者に仕立て上げます。この裁判の場面で、いったい何がおきていたのでしょうか?

2022.5.1 礼拝メッセージ

今日はペテロがイエスさまの弟子であることを3度拒んでしまう場面を味わいます。先週味わったみことばがイエスさまの裁判だとしたら、今日味わう場面ペテロの裁判だと言えます。裁判の場で、語るべきことを語ったイエスさまと、語るべきことを語れなかったペテロ。彼がそのあと流した涙にはどんな意味が込められていたのでしょうか?

※本日、回線の調子が悪く、冒頭数分間映像と音声が乱れております。ご容赦ください。

2022.4.24 礼拝メッセージ

先週のイースターは、ルカの福音書24章にある「エマオ途上の物語」を味わいましたが、今日はマルコの福音書に戻り、14章53節から65節にあるユダヤにおけるイエスさまの宗教裁判の場面を味わいます。真夜中の、それもイエスさまを死刑に追い込む裁判で、何も語らなかったイエスさまが、大祭司の質問に対して口を開きます。この時、裁判の場で何が起きていたのでしょうか?

2022.4.17イースター礼拝メッセージ

今日4月17日は2022年度のイースターでしたね。今日は、これまで味わってきたマルコの福音書を離れ、ルカの福音書24章13節から35節にある「エマオ途上への物語」より、28節から32節を中心に味わいます。イエスさまが御苦しみを受けられ、十字架へとかけられたあと、死んで、よみがえられた・復活されたということが、主とともに歩める希望を私たちに与えた、という確かな事実についてお話します。